富士宮やきそば学会 概要

富士宮やきそば学会とは

富士宮の伝統的なご当地グルメ、ソウルフードのやきそばの特徴を生かして、まちづくりに生かしていこうと、富士宮市内の有志・ボランティアが連携して、富士宮やきそば学会を2000年に設立しました。その後、富士宮やきそば学会のさらなる活動の充実のために、2004年にNPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗を設立し、関係団体とも連携して、まちづくり活動を行っています。

平成30年12月に、最大の立役者であった、渡辺英彦会長ががんとの闘病の末、ご逝去されました。故:渡辺英彦会長のこれまでの功績、リーダーシップに最大の感謝と敬意をここに表します。

そして令和時代、新型コロナウイルス禍も発生し、従来の価値観でのイベント企画運営、団体運営がままならない日々の中でしたが、新体制の構築、新商品の考案など活動を模索してまいりました。

令和5年春、徐々に社会情勢が前向きな変化への兆しへと向かおうとしています。ライフスタイル、価値観も多様化、変化していく中、メンバー一同、多くの仲間、地域の人々と力を合わせてこの困難や変化を乗り越え、新しい時代、新しい地域づくりの実践を行っていきます。

私達富士宮やきそば学会が最終的に目指すのは、やきそばの発展・発達ではありません。この活動を通じた、地域社会の活性化、文化創造、地域力の再生、地域の魅力再発見、子どもたちの笑顔づくり、底抜けに明るく楽しい地域の未来のづくりなのです。

団体概要

団体名富士宮やきそば学会
会長渡辺 英彦(故人:会長名義は同氏のみ適用)
会長プロフィール
代表渡辺 孝秀(ふじのみや本舗 代表理事)
代表あいさつ
運営専務望月 史生(ふじのみや本舗 会員)
運営常務田邉 元裕(ふじのみや本舗 理事)
理  事海外マーケティング担当 勝呂 早希(ふじのみや本舗 理事)
所在地静岡県富士宮市泉町458
NPO法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗内
連絡先090-7678-9933(代表携帯)

「富士宮やきそば」の登録商標の管理については、故:渡辺英彦会長が設立した株式会社プロシューマー(代表取締役:渡辺研介)が行っております。

沿革

年月日出来事
2000年11月29日富士宮やきそば学会設立 渡辺英彦氏 会長就任
2002年5月関連団体 特定非営利活動法人まちづくりトップランナーふじのみや本舗 設立
2002年10月13日天下分け麺の戦い 富士宮市「富士宮やきそば」 VS 北九州市「小倉焼きうどん」
2004年4月お宮横丁内にアンテナショップをオープン
2004年9月「富士宮やきそば」の登録商標される
2005年4月富士宮駅改札前に「麺’Sステーション」開店
JTBと共同でヤキソバスツアーを決行
2005年12月富士宮~東京駅を走るバスの愛称として“やきそばエクスプレス”が誕生
2006年2月第一回B-1グランプリ にて優勝
「愛Bリーグ」(http://www.ai-b.jp/)発足
2007年6月第二回B-1グランプリにて2連覇「グランプリ受賞」富士宮やきそばが殿堂入り。
2010年設立10周年
2011年富士宮やきそば 世界プロジェクトスタート
海外4カ国5都市にて世界展開PR
ニューヨークJAPANブロックフェス出店
2012年シアトル桜まつり出店
2013年B-1グランプリエキシビジョンinタイ出店
ローマー・イゾラ・デ・ラ・チネマ出店
2018年12月19日 会長渡辺英彦氏逝去(享年59歳)
2019年代表に渡辺孝秀氏就任
2020年設立20周年
2022年第1回全国鉄板会議in大阪開催
文化庁「100年フード」に認定される
2023年海外麺ポッシブル再始動
3年ぶりB-1グランプリ開催予定(in四日市)

富士宮やきそば学会 発足膳夜(前夜)

1991年のバブル崩壊後、全国の地方都市と同様に富士宮市においても、中心市街地の空洞化が進み、かつて栄えた街中はシャッター通りと化していきました。そこで、街中を何とか元気にしたいという気持ちが市民の心の中に広がっていました。

平成10年中心市街地活性化法が施行され、平成11年には市役所及び富士宮商工会議所が主催の「中心市街地活性化基本計画策定のためのワークショップ」を開催。ワークショップには、中学、高校生から一般市民、商店主、事業者までさまざまな職種の人達が60名ほど集まりました。

ワークショップの様子

グループに分かれて話し合いが行われ、そこから出てきた「中心市街地活性化のアイデア」を持ち寄りその提案を元に、富士宮市の中心市街地活性化基本計画が策定され、市民参加のワークショップは終了しました。その後も商工会議所が継続して研究会を開催し、「市に提言するだけではなく、街中で何か行動を起こそう」という想いをもった有志が参加し、少しずつ動き始めていました。

富士宮やきそば学会 誕生

後の富士宮やきそば学会会長となる故・渡辺英彦氏(2018年没)のグループも街中の路地におもしろい文化があるのではないかと「ロジカル(路地カルチャー)なまちづくり」という提案をしました。そしてそのグループの話の中で、富士宮市には焼きそば店の数が多いことや焼そばの麺が他と違う事を発見したのです。

故・渡辺英彦会長

どのくらい多いのかを比較するために、静岡県内の焼きそば店を電話帳で調べてみたところ、1万人あたりの焼きそば店の数が他都市では平均3~4店なのに対し、富士宮市は12店舗と格段に多いことがわかりました。

富士宮やきそばとしてまちづくりに活かせないかと、同じグループの都市計画コンサルタントの望月誠一郎氏より投げかがありました。同じくグループ内でも、「そういえば、大学に進学した子どもやお嫁に行った娘からも他の町の焼きそば麺は柔らかくて食べられないから富士宮の麺を送ってくれと言われる」という話から始まり、「小さい頃から、近くの駄菓子屋さんでコシがあって、だし粉を掛けて食べる焼きそばを食べてきたよね」と話が盛り上がり、みんな熱く語り始めました。

「ラーメンでまちおこしをしているのは良く聞くけど、焼きそばでまちおこしをしている所はないよね。富士宮市はこの焼きそば麺をまちづくりに活かしましょう」とその場で話がまとまりました。そこで、リーダーを誰にするかということで全員一致渡辺氏の会長就任が決定し、「富士宮やきそば学会」が誕生しました。

「やきそばG麺」なるものを組織し、夜な夜な市内の焼きそば店の調査を行いやきそばMAPの制作を行いました。そこに飛びついたNHKのアナウンサーが「これは面白い」と取り上げ、そこから、渡辺氏のマスコミうけする話題づくりとダジャレを交えたネーミングセンスなどが相まって、破竹の勢いで富士宮やきそば学会の活動は勢いを増していきました。

9年間で経済効果439億円(データ参照)という驚くべき実績をあげたのです。